2017年11月25日土曜日

3秒、3分、それ以降

ストーリーでうるのか、物でうるのか

僕たちは紛れもなくものづくりをしてその商品をカンボジアや日本で販売しております。なのでフェアトレード、エシカルファッションなどというくくりで捉えてもらうことも多く、実際ものづくりを行うその場所や、社会インパクトについては非常に大きなこだわりがあったうえでものづくりをやっています。

そうすると特に日本で販売をおこなっていくときによく問われることが、「果たして何を売りにするのですか?ものですか? 背景にあるストーリーですか?」という話です。色々な方とそのお話をする中で、わかってきた 共通点、人による違い、そして僕たちが大切にしていることについて考えてみます。

アパレルの方には「当然ストーリーだよね」、フェアトレード好きの一般消費者には「もので売れますよ!」と言われる

人は普段みて考えているものと比べて僕たちの商品やブランドをジャッジしています。
普段から非常にたくさんの良いものを見ているかたにしてみれば、まだまだ僕たちの商品は凡百のアパレルと一緒。土俵にはのっているものの、結局14000社あると言われるアパレルと同じ商品を、より少ないお金と人材で売っていくってそれはムリですよね。むしろ、ストーリーが新しい。

一方NGOや「支援」という文脈からものをみられた方は、そのマーケットの中で本当に日本人が普段使いしたくなるようなクオリティの商品が少ないこともあり、私達の商品をお褒めいただくことが多いです。

でも、入り方は多少違ったとしても、結局「人に勧めるか」「何度も買うか」という点で考えたらあくまでも「まず真っ当な商品を出して土俵にのって」「ストーリーで差別化をしていく」という当たり前の結論しかないわけです。それが殆どの商品でできていないから、フェアトレードで成功しているのはどうしてもチョコレートとコーヒーに偏ってしまう。

「3秒、3分、それ以降」の順番を忘れない

ということで、僕たちが大切にしているのはあくまでも人が物を買う順番でものを考えようということです。それがこの言葉。

みなさんがものを買うとき、まず最初は一瞬で判断していると思うんですね。長くても3秒。そこで「カワイイ」かどうか。本当に微妙なフォルムの違いだったり、detailの作り込みだったり、色合いだったりを本当に一瞬でジャッジします。自分が取捨選択してきた商品のデータベースを蓄積して作った価値観のベクトルとの一致でという感じでしょうか。人それぞれ沢山の種類の違う「カワイイ」がありながらも、色々な人同士での共通のNGがあるように思います。

そしてその次の関門が「3分」。そこでもストーリーが入ってくる余地はありません。そこで行われるのは、「素材、縫製などのつくり、機能、丈夫さ、使用シーン」と「値段」を較べるという作業じゃないでしょうか。

ストーリーの話はやっとこの後に出てきます。買う最後のひと押しになることもあるかもしれません。ただ多くの場合は衝動的にかった後になって、「なんでこのブランドのもの買っちゃったんだっけ?」「そういえばどんなとこだっけ?」と興味をもったときにそのブランドを「好き」になるのがストーリーだったりします。

最初の二つの関門は殆ど自動的に店員の説明の前に行われるステップなので、ものと置き方でその関門を突破しない限り決して沢山の人に商品が届くことはない、それを肝に命じてものづくりをしています。

あたりまえ、だけど長い道のり。

これ、偉そうに書いてるんですが、本当にあたりまえのことです。でもクチャというカンボジアの農村で始めた工房で9年前にものをつくりはじめたときには、日本で商品販売のその土俵にちゃんと上がれる日が来るとは想像できませんでした。

クチャ村からヒカリエへ
土俵にのぼったらそこからは違う戦い方があります。それをまた語れる日がくるまで粛々と頑張ります!

2017年11月3日金曜日

続・仕事ができることより大事なこと

「仕事を一緒にしたい」と思わせる関係性を作るための2つの自覚

さて、最後に最近やっと思いが至った、関係性を築くために常に気をつけなくてはけないこと、それは自覚することです。
何を自覚するのか、それは「自分のメンタルモデル」と「場や関係性を支配するランク」の2つでしょうか。

メンタルモデル、認識の歪みを自覚する

前者はつまり思考のクセに気づくことです。U理論のダウンローディングだったり、システムコーチングで言う所の推論のハシゴだったり、まぁ認知行動療法でよく言われる事実から解釈への流れだったりが近いのでしょうか。書いておいてなんですが、それぞれをテーマに勉強して掘り下げていきたいですね。

人はかなり無意識に思考をショートカットするクセがあります。ヒューリスティックに効率的に物事を処理するための工夫です。これは気をつけないと自己認識の歪みや差別にすぐにつながります。

「彼は高卒だからXXXだよね」「おれはどうせダメだから彼が言っているのはXXXという意味に違いない」とかかなり勝手な当てつけや解釈が入っていることが多いです。 普段はそうやって物事をジャッジしていかないと意志力を使いはたしてしまうのでしょうがないのです。

ただうまくいかないとき、ここぞというときに相手の言っていることをきちんとゼロベースで受け止めたり、自分の思考の歪みに気づいたりする勇気を持つことが大事です。これが1つ目の自覚。

ランクを自覚する

で、後者の「ランク」っていうのが厄介なことでして軽く説明しますね。というかランクについてブログを書きたいなと思って今やっと到達したんですが、前説長かったですね。ランクっていうのは人間のランキングみたいな話ではなく、自分が感じる「段差」の話です。
※僕が読んだのはアーノルドミンデルの紛争の心理学という書籍でですが、うろ覚えなのでこれも勉強リストに。

みんなで話し合おうと思ってミーティングを持ったとき、その場を支配するその人たちの「属性」の差が健全な議論を邪魔することがあります。

例えば「知的レベルの差」「学歴の差」「収入の差」「被害者性の差」などなど。知的レベルの差が場を支配している例 といえば、「頭がいい人しか発言できない、深い発言だけが許される」という認識のことです。

重要なのはその差と感じているものはあくまでも「認識」であって、事実とは全く限らないということです。特に「自分は頭悪いので」と思っている人にありがちな「自分の意見は大したことないので言わないのでおこう」「とてもじゃないけど怖くて発言できない」という「認識」が起きがちですが、意外と周りの人は全くそう思っていないということはよくあります。前段の認識の歪みともからむので、まずはそれが「自分の思考のクセ」から来ている思い込みじゃないか ということを疑う勇気が必要です。

逆に、「頭良い発言を繰り返している人」だったとして、その人も自覚が必要です。ミーティングの目的にもよりますが、その発言や立ち居振る舞いが作り出しているランクに気づかないと、場や関係性から心理的安全がどんどん失われていきます。

例えば権力のある人が偉そうにしていたとして「上から目線で話されるので関係性が構築できない」というのはわかりやすいケースです。

ただ、分かりづらいケースが、「被害者意識が作るランクの差」でしょうか。「自分は被害者だから」 → 「自分の話は無視されやすい、大切に扱われるべきだ、あの人がああいう言い方をしたのは偏見じゃないか」みたいなことを自分で先に勝手に想定して相手の言うことを受け止められないことが多々あります。

いずれにせよその場の関係性や自分自身の喋りにくさ、そして人との健全なコミュニケーションを阻害する要素として、その場その場を支配する「ランク」というものがあるんだと思ってください。そしてそれを自覚することは、関係性を構築するのに役立ちます。

議論の土台のズレ、発言の土台のズレが間違った解釈をうみ、関係性を壊していくというのは多分すべての人が経験を持っていることではないかと思います。そのときにふと、お互いの共同作業として「どういうランクが場を支配しているか」「それによってどういう発言がうまれたか、抑圧されているか」「それによって自分の解釈はどうゆがんだか」ということを見つけられれば、必ず相手との関係性を良くヒントを得ることが出来ます。

気づいた人が一歩進んでその段差を乗り越えてみる、そうすると驚くほど話が通じるようになることがあるのです。

結局仕事を一緒にしたい奴って?

色々関係性やコミュニケーションについて難しく書いてしまいましたが、何か参考になったでしょうか? 自分が囚われているメンタルモデルやランクを自覚できるようになると本当にラクにいきれるようになり、相手が囚われているメンタルモデルにきづけるようになると傷つかずにその人の言葉を受け止めることができるようになります。

メンタルモデルっていうより「とらわれ」とか「呪い」とかの方がわかりやすいかもしれませんね。

結局人と真摯に向き合って生産的な関係性を築いていける人と一緒に仕事をしたいよね、そのために大事な考え方ってなんだろう、という話でした。

仕事ができることより大事なこと

「仕事ができるやつより一緒に仕事をしたいと思われるやつになれ」

20代前半で師匠から言われた言葉の中でも印象深くて、それから大事にして来た言葉です。僕自身わりとこの言葉に救われたり、深い学びをもらったりしてきました。この言葉を自分なりに咀嚼した過程をゆっくりと記事を分けて皆さんと共有できればと思います。

仕事ができるやつ ≠ 一緒に仕事をしたいやつ

「え、仕事ができるやつ=一緒に仕事したいやつじゃないの?」と思ったのが最初の衝撃でした。それも当時の僕の憧れは「お世話になっている師匠や経営者の方々と一緒に仕事をする」ということにあったので、それには「ビジネスマンとして経営者として優秀にならなくてはいけない」と思い込んでいたからです。

今考えるとそのときの僕の「優秀さ」の物差しはとっても狭くて、「思考力」とか「戦略」とかそういうことしか見えていなかったように思います。

なお、この2つのグループが必ずしも一致していないといっているのであって、仕事ができないやつと仕事をしたいよね、という意味ではないですよ。

じゃあ何がその二つを分けるんだろうか、それがおぼろげながら見えてきたのは30歳くらいになるころかもしれません。それを僕なりにまず説明するために、仕事ができる→生産性、一緒に仕事をしたい→関係性と読みかえてその関係性から考えていきたいと思います。

生産性と関係性の話

一般に生産性が高い組織と関係性が良い組織は両立するのが難しいと思われがちです。詳しくはPM理論などをみてもらえればと思うのですが、どちらを大切にするか、つまりコトに注目するかヒトに注目するかで仕事の進め方が異なるためでしょう。

まず「組織は目標を達成するためにあつまっているので、生産性が高い人が一番えらい。仲良しサークルみたいな働き方をして成果が出てない人たちは全く駄目である。」と考えている方がいたら要注意かもしれません。僕が思うに、組織人である前に僕たちは一人一人の人間です。そして人間は論理の前に感情で物事を判断しています。それを軽視して、コトだけに注目が集まるチームはプロジェクトの成果はでたりしますが、人材が成長しなかったり、チームが継続しづらくなります。

またプロジェクトの成果は水物ですから、成果が出ているときは表面に出てこなかった問題が、一旦状況が悪化すると噴出するということがあります。そういうときに関係性のないチームは、役割分担を見直したり、お互いの成長に貢献したりという機能が弱く、チームとしてのリカバリー力がないということが起きえます。

もちろん、「コト < ヒト」ということではありません。PM理論でも状況によって生産性と関係性どちらに注目するのが良いのか、という状況ありきの話ですし、チームが生き物として成長していく地図には二つの方角があるんだ、と理解してもらうのが良い気がします。

もう少し具体的に地図の例を説明してみます。例えばチームの生産性を伸ばす方角を北、関係性を改善する方角を東と考えてみてください。もちろん目指すべきは北東です。地図の使い方としては今自分たちがどこにいるのかを意識して、さらに北に向かうのか東に向かうのかジタバタしてみるという話になります。

例えば成果が必要なチームの状況だととらえ、北に向かっていこうとしてもどうしてもうまくいかない時があったとします。そのとき勇気を持って一旦東に向かってみようとみんなで考えてみる。東に行くためには時には少し南に降らなくてはいけないこともあるかもしれません。

東にいるけど、このままだと北目指さないと死んじゃうな。ちょっとチームのみんなに耳の痛いことを言ってでも、北に行くぞ、といった考え方でしょうか。そのバランスを取る中で少しずつ北東に向かっていくのだと思います。

さて、「生産性と関係性の話が別の話だし両立する話だよね」というのがまず一段階目の「仕事ができるやつ < 仕事を一緒にしたいやつ」の理解してもらうために必要なことでした。次は北東に行くのはなぜ難しいのか、について考えてみます。

生産性がなぜ関係性を殺すのか

さて北に行くと西に行きやすいよ、つまり生産性を重視しすぎると関係性を犠牲にすることがあるよ、という話は頭の片隅に入れておくと良いように思います。

僕が思うに北に行く(=コトに注目しすぎる)と、「今」「その人の存在」を受け取ることが難しくなってきます。「KPIに貢献できない人はいらない」みたいな考え方が幅をきかせてしまい、多くの場合ではチームの多様性や心理的安全性を損ねてしまうコトになりやすいです。多くの場合下記のようなことがスピードを求めるあまり犠牲にされることな気がしています。
  • KPIが短期的でありすぎること。長期的には良いことやってる人や、KPIに繋がる別の人のアクションをアシストしてる人など、短期的に測定しづらいことが軽視されます
  • 人が感情で仕事をしているという事実を忘れたり封印してしまうこと、
  • その人の価値観、多様性に対する尊重の欠如。例えば「プロフェッショナル」という言葉をひとつとっても、それが「決められた時間できっちり一定の成果をあげること」だと思っている人もいれば「できる限り全てのエネルギーを通じて多くの成果を出すこと」だと思っている人もいればはたまた「多くの人と公平に接するコト」だと思っている人もいれば「みんなが気持ちよく仕事できるコト」だと思っている人、「ボールがこぼれないように拾い続けること」と思っている人まで様々ですよね。その人の価値観や過去の成功体験・失敗体験・家庭環境によってそれぞれの人の考え方は全く違います。なので例え同じ結論に至っても全く違う考え方をしていたり、同じ事実を見ても全く違う結論に至ったりすることはよくあります。その人それぞれの立ち位置を尊重(最低限「人と人は違う」と頭で認識する)ことは良い関係を作るためには必須です
  • 最低限の心理的安全性の確保。「何はともあれ、君はひとりの人間としてうちのチームにいてくれて嬉しい」というメッセージを発することができているかどうか。Googleも発表してましたが。 ミーティングとかブレストで特定の人しか喋ってないとか要注意です。知的生産性も下がっています
やや「良いチームの作り方」みたいな方に話がずれてきてしまっているのですが頑張って軌道修正をすると、「生産性と関係性の関係性を知って、バランスをとろうね」という話でしょうか。仕事を一緒にしたいやつ っていうのは少なくとも関係性を築ける人であり、その相克に取り組んでいる人だと思います。

次回予告

だいぶ長い前振りになってしまいましたが、前段として生産性と関係性について思っていることを書いてみました。じゃああらためて後者の関係性を作れる人、作りたくなる人=「一緒に仕事がしたいやつ」としたときに、どうやって関係性を作っていけば良いのか、ということをさらに一つ踏み込んで考えてみたいと思います。

2017年10月29日日曜日

海外で暮らしたことが自分に及ぼす影響

とくに結論がある話でもないですが、海外での暮らしが長くなってきたので(9年目に入ろうかというところです)海外で自分が暮らしたことがどう自己形成に影響しているのか考えてみます。

海外にいると多様性の中で自分がわかる

旅の醍醐味でもありますが、海外で働いていると自分と違う価値観の人とぶつかるシーンが多いです。そうすると、あらためて自分が当たり前とおもっていたことが全然当たり前ではないという事実に気づかされ、自分であらためて価値観を選択したりするシーンが生まれます。卑近なところから色々な例をあげると

  • 「汚い」環境に自分がどれだけ耐えられるか、気にする人かわかって、どういう環境で過ごしたいかをあらためて考える
  • 特に仕事やその姿勢に対して「お金をもらってるんだからこうあるべき」「プロっていうのは成果を出す人」「成長をしないならいる意味がない」「組織の成功を考えるのは当たり前」みたいな意識の「高さ」が特に当たり前でもないことに気づいて、あらためて自分が目指す「プロ」は何がしたい人なのかを考える。
  • 同じようにある程度の大学を出て、上記のようなプロ意識の人たちとともに仕事をする面白さと、全然違うバックグラウンド(小学校を途中でやめてるとか)の人たちと仕事をすることの面白さとか、面白さの軸が豊かになる

海外にいる現地の方だけではなくて、現地にいる日本人や、外国人も多様なのでそこで学ぶことは多いです。いかに東京にいる時の自分の交流範囲が狭かったのか、ということはみにしみました。

海外にいると天狗にならなくてすむ

これは社会起業的なことをやっている人に特有のことかもしれませんが、日本にいるとよく「人のためになることをやっていてすごい」とか「若いのに」「起業するなんて」といった、社会的なインパクトとはあまり関係ない属性や意図について褒めていただくことが多かったような気がします。それはそれでありがたいことなんですが、自分の事例でいえば大したことをやってなくても講演の依頼とかがきてしまったりします。もちろん全力で伝えたいことを伝えるのですが、一番怖いのは「あれ、なんかおれすごいのかな」と勘違いする可能性を感じることですね。

たいていの人は結果を丁寧に評価してくれるわけではなく、そんなことよりも「19の時に起業して」「東大を中退して」「カンボジアに長く住んで」「団体を15年続けて」みたいなわかりやすいことを見てくれます。あと、良かれとおもって励ましてくれているというだけです。

カンボジアの人のためにどれくらいなったか、とか、ましてやSROIが前年より良くなったね みたいな話は日本で普通に人と接すると失いがちな視点です。これはまさしく自己認識のガバナンスの話で、低すぎてもダメなんですが、調子に乗ってもダメなんですよね。今は「俺ってすごいのかな」と少しでも過分に思った瞬間から体の細胞が死んでいくような、自分の色が灰色になっていくような恐怖を持っています。

海外にいれば「東大なにそれ?」「(カンボジア人からしたら)カンボジアに9年住んでんの?ふーん、ありがとう」「かものはし、なにそれ?」っていう話なわけでこれは非常にありがたく20 - 30代を勘違いせずに送ってくることができています。

「日本」と乖離していく

これは良い影響とも悪い影響とも言い難い非常に議論の余地があるところかと思います。ただ、海外にいると「日本」というものを客観的にみるようになるし、たとえば震災や原発問題、高齢化問題といった日本における「社会で共有する痛み」みたいなものから影響を受けにくくなります。

日本に住んでいるみなさんが今カンボジアの民主主義がややピンチで、といわれても全くピンと来ないのと一緒だと思います。「日本人だから」という気持ちは一部ありつつも、震災の揺れをリアルに経験していない、ということが自分の人生の選択に及ぼす影響は大きいのではないかとおもっています。

さまざまな友人たちが政治だったり震災だったり日本のイシューに痛みや怒りをもっている姿をなんとなく憧れや応援にまわってしまうこの感覚。逆に世界の問題やカンボジアの問題に僕の人生を使え、とか、そこから日本にさらにもっていけるものはなんなのか考えろ、というメッセージなのか、と思っています。

いずれ日本にもっと高い頻度でいかなくてはいけないかもしれませんが、今海外にベースを持つ中で、自分自身が感じた影響について考えてみました。

2017年10月19日木曜日

スタートアップとレガシー、新幹線とブレーキのアウフヘーベン

責任の取り方、それが仕事だ

大ベテランの記者の方と食事をする機会があり、そこでおっしゃって頂いたことが、「万が一のときにどうするの?ということを考えずに、リスクを見ずに進むということの怖さを挑戦する人に伝え続けることがベテランの役割である」ということでした。

これはかものはしの理事会で起きていることにも非常に似ていて、「かものはしの経営はなにやら200km/hで走る新幹線のようだ。だから僕はブレーキになるよ」とおっしゃっていただいている大ベテランのNGOの方のセリフと一緒だなと感じました。

全肯定でも全否定でもなくアウフヘーベンを模索する覚悟

リスクを見すぎては挑戦できない。挑戦しなければやがて茹でガエルのようにゆるやかに死んでいく。でもリスクを見なかったら万が一の時に本当に地獄を見てしまう。そのジレンマのなかで僕らは生きています。イノベーションのジレンマだって、大企業とベンチャーの役割分担だってそういうところがあります。

地獄をみるといったときに、単に自分がつらいだけじゃなくて、従業員や家族を路頭に迷わせるかもしれない。記者の方であれば、自分の書いた記事で人が死ぬかもしれない。それくらいの責任を自分の仕事の先に見ているかどうか、これはベンチャーだろうが大企業だろうが同じことです。例えば医療的なことでデマが載っているキュレーションサイトをつくって、それを信じて人が死ぬことはありえる。単に記事を変更、削除、閉鎖すればよいということではない。

とすると、新しい時代に対応しながらも、万が一の時に死なないようにするためには、アクセルを踏みながらブレーキを踏まなくてはいけないと思うことがあります。絶対にこの事業はリスクをとっても成功する、と思いながら、失敗したときのことを冷静に検討しておく自律的なマネジメントをする必要があります。新しくやることの難易度が高くてエネルギーが必要な時ほどこれが本当にしんどい。

そして万が一のケースになっても、もう一度更地からやり直せば良いんだ、という覚悟と、そんな時でも絶対に人は殺さないぞという覚悟、それも両立しなければいけません。それもしんどい。

どのように仕組みとして、個人としてアクセルとブレーキを統合するか、それが大事な問いです。そのときに大事なのは、
  • お互いのメンタルモデルを乗り越えて、その場で対話する
  • その時、どちらが絶対的に正しいか、とか 「要はバランスでしょ」という安易な相対主義に陥らないように原則を見つめる努力をする
  • 自分自身がやってきたこと、大事にしていることに、自分ができないこと・怒ることに興味と自信を持つ
  • 挑戦者からは、特にリスクとその怖さを体感した年配の方の蓄積を、現実レベルだけではなく、その感情や構造とともにきちんと好奇心を向けてみる
  • そのアドバイスも勝手に解釈するのではなく、体にしっかり通して見た上で出てきた違和感に向き合って、それを対話に使っていく
  • 年配からは、若い奴は仕事が軽くてイカン、何言っても聴かないし、 と思うのではなく、あとでボディーブローのようにしっかりと体に染み渡る丁寧な伝え方を模索する ということじゃないでしょうか。そうすると、アドバイスの表面ではなくて、本当に次の時代に繋げたい普遍的な価値観をgiftとして受け取ることができるようになるでしょう。そして自分たちが本当に大事にしてきたことから、これからも大事にしていきたという事柄が切り離して考えられるようになります。
お互いが臓物をとりだしてテーブルに並べて、きちんとそれを見つめて、自分ののろいも断ち切って、お互いの臓物を味って、また選んで、自分の腹のなかに一つずつ納めていくようなそんな相互のプロセスが必要なのです。
それがアウフヘーベンということかと思っています。

広がる夢とブレーキ:SUSUの場合

例えばの話。
前提:ライフスキルトレーニングはカンボジアの全土でインフラのように提供させるべきだと僕は考えています。そうすると、カンボジアの公教育にライフスキルトレーニングを取り入れてほしい。教育省と連携がすすんだとしても、トレーナーを育成しなくてはいけない。(多分6000人くらい)。トレーナーって簡単に育てられるっけ?

→夢:よし、教師育成にイノベーションをおこして、active learningとしてうちのコンテンツを提供できる教師を「2週間」で育てます。

→ブレーキ:そんな新人の教師が現場にはいって何かあったらどうするんだ。

→反応してしまう例:いやいや、じゃあ逆にどうやってその数の教師を育てるんですか。bracだって10日くらいで教師を育ててるし、きちんと作り込めばできるんですよ。その後のフォローアップが大事で、そこはITとかシステムを使ってやりますので。大体旧来的なteachingスタイルの考え方にとらわれていない人を教育した方が早いんです

→そうじゃなくてそのブレーキを一旦噛みしめる:たしかに教育ってコンテンツだけではないし、ライフスキルを教えるのに、その人自身が成長してなくては難しいかもしれない。プロセスじゃなくて、人格や経験でなんとか現場を支えている教師の見えない活動のこともきちんと考えなくてはいけない。。。どうやって自分たちの夢や事業のペースと同時に達成していけばいいんだ??

→andの解決策を考える:学校というシステムをもう少し複合的に考えるようなアプローチだったらどうだろう。全ての学校に生徒の一人一人の姿を大事にできるような教師や、ライフスキルとして見本になれるような教師、地域の人たちがいるはず。あくまでファシリテーターとしての教師を送り込む方に特化し、既存の教師や地域の人たち、親との関係を紡げれば両立できるかもしれないぞ!

あくまで思考実験ですが、上記のように考えるのが良いように思っています。ポイントは繰り返しになりますが、本気で心配してくれている人たちの気持ちを受け止めること、好奇心を向けてエッセンスを抽出するように努力する ということででしょうか。うまくいけばさまざまな世代の蓄積したエッセンス(本質)をgiftとして受け取ることができるかもしれません。

誰に真摯でいたいか。あるいはブレーキのない新幹線に人をのせるのか

僕たちが真摯でいたいのは現場で教育を受ける生徒であって、ぼくたちの社会的経済的成功でも、仮説を検証することでも、成長をしていくことでもないはずです。もちろん後者も大事ですが、前者を目指すといつのまにかちゃんと美味しくご飯が食べられるようになっていたという話ですよね。

そのときに、今まで生徒に真摯に向かい合ってきた先達の声、方法論は違えどものすごい参考になることがあるはずです。自分たちの思いも大事にしながらそういうひとのgiftを受け取れる人でありたいなと思います。先人をrespectするっていう小学校一年生くらいで習う話がいかに難しいか、ということでもありますが。

ところでそもそも、ブレーキがない新幹線に乗りたいと思う乗客はいるでしょうか? 早いだけじゃダメ、リスクをみて止まるだけじゃダメ、きちんと運転できる新幹線をめざしたいですね。

2017年10月18日水曜日

transitionを加速する

状態Aから状態Bに移ることをtransitionといいます。単なる変化というよりは、何かゆっくりと移り変わっていくそのスピード感だったりプロセスに力点がある言葉のように感じています。

ここでは志の話とも関連し、自分がこれまでの特に2年間でどのようなTransitionを経験し、さらにその中での個人の変容を加速していくために、Transitionを加速するための方法について考察してみます。

外的なTransition

特に2015年からの大きな変化は、今から数えると16年前に創業したかものはしプロジェクトという団体から独立し、改めてカンボジアで行なっている事業を続けていくと決めたことです。その中で

  • 例えば、財務的にも組織的にも日本の本部に頼らずに自立した経営がより求められる中で、自分自身の経営者としての役割がより広く、チャレンジングなものに変わった。例えば、お金・組織だけでなく、ものづくり・ブランディング・資金調達などさまざまな分野についてもっと厳しい目でチェックをするような役割など
  • 本部が2018年度からもうカンボジアでのプロジェクトを続けません、という事実が組織にもたらした動揺とそれを落ち着かせること
  • かものはしプロジェクトの常勤の理事として関わりつづけてきたが、段々と外部の理事になることをイメージして関わるようになってきた
  • カンボジアにより長く残るという決定の中で、家族がタイに引越しを決めてくれた。結果家族との時間が増えたり、自分自身の移動が増えた
  • 「かものはしプロジェクト」としての帽子、「新団体の代表」としての帽子など状況や文脈でかぶる帽子が増えた

といったような自分の仕事、役割、所属する団体、ベネフィットの変化、組織的な混乱を乗り越える旅などなどさまざまな外的な変化がありました。その中には寂しさだったり、ダメ出しを沢山されたり、痛みだったりを経験することが沢山起きました。まだまだ修行中ですが、経営者としても、1人の人間としても結構面白いチャレンジだし、だいぶ成長させてもらったなと思っています。

内的なTransition

外面の変化の一方で自分の内面の変容もたくさん感じ取ることができました。

  • 1年かけて独立を決める中で、自分の本質と繋がった事業の決め方が出来たこと。何人もの人と手を繋ぎながら自分の内面を探る旅が出来たこと、それによって湧き出るようなエネルギーと共に事業を進めていけていること。その場の熱狂や楽しさに良い意味で流されてQuickなdecisionを続けてきた自分が、16年ぶりに、いや、それこそ生まれて初めてきっちりと「自分で決めた」という経験が出来たことを誇りに思っています。
  • 痛みを超えて孤独でなくなったこと。2015年の組織の混乱の中で、経営者としてというよりひとりの人間としてどんどん問題を抱え込み、孤立にすすんでいったように思います。「団体の生き残りを真剣に考えているのは僕だけなんじゃないか」とか「果たしてみんないなくなってしまうんじゃないか、みんなに迷惑をかけているんじゃないか」という恐れもありました。そんな中、それを打破してくれたのが一緒に働く同僚たちでした。自分たち自身で「青木に頼っているマネジャー陣。その甘え」「それでいて文句が言えない、不満が伝えられない、関係性が一歩進まない同僚」という痛みを乗り越えて、「自分たちはどうなりたいのか」「青木との関係をどうしたいのか」「どう共にいられるか」という問いを考えてぶつけてくれた仲間たちには本当に感謝しています。僕には経営者は必ずしも孤独じゃなくてよいとおもっている強い信念がありますが、それはこの時確信したものです。今は共になやみ、お互いにダメ出しをしあい、最後まで一緒にたっている心強い経営チームで仕事が出来ています
  • 家族との関係。家族が持つさまざまな事情や、それぞれの個人、そして将来的に自分が面倒を見るという覚悟など、さまざまなプロセスのなかできちんと向き合うことができました。特に本当に良い家族に恵まれたことにより感謝できるようになりました。痛みとしては、自分が自分で人前で「怒り」だったり「悲しみ」だったりを表明しづらくなった人格を形成してしまったことを乗り越えて、そんな自分をより好きになり、さらにはもっと自由になろうとしています。

今後Transitionを加速するために

Uの谷を潜るプロセスであり、長いトンネルを越えようとすればまた違ったトンネルに出会うことにもなります。いかに自分の内部を見つめ変容を自覚し、感謝し、加速していけるか、ということに今後はもう少し挑戦したいと思います。その勇気をいつもくれる同僚、コーチ、師匠、メンターの方々に感謝です。

具体的な挑戦は何度も最近のブログで繰り返していることとある意味同じです。

  • 無邪気に夢を語り続けること
  • 夢に日付や手足を生やして、もっと確信を強めること
  • タイの家族ともっと向き合うこと
  • 豊かな感情を楽しむこと
  • 自分の「怒り」「悲しみ」という感情に好奇心を持つこと。隠された願いはなんなんだろうか、と思いをはせること

そうすれば、いろいろな場面で確信をもって、人とのconflictや直面を恐れることなくより自由にすすんでいけるように思っています。そうすれば僕が描いている、ライフスキルを世界で提供すること、それを可能にする優しい資本主義の実現に必ず一歩近づくと信じて、この個人の変容の旅をより楽しみたいと思います。

もっと自由になるぞ。自分のいやな感情、見えなくなった怒りとも共にあるぞ。もっと、世界に関わり続けていく。シェムリアップだけでなく、カンボジア全土にサービスを提供するためにあわなくては行けない人は誰なのか、日本はどうか、世界はどうか。その人たちとともに歩む最初の勇気を持つことが出来ました。

2017年10月16日月曜日

慈悲の瞑想について

瞑想というもの

ツールとしての瞑想が流行っているような気がします。なによりマインドフルネスという言葉の流行もあって、多分瞑想は前より受け入れられているように思います。まぁビジネスの生産性を少しでもあげたい、っていう目的で瞑想をするのは本来の目的を結構損なっているようにも思うし、悟れないと思うんだけど、実際市井の僕たちが必要としているのは悟りじゃなくて生産性だったりしますよね。
ともかく、一瞬でも自分とつながるために、ここにいるために、自分の幸せのセンサーを開くために、自覚する筋肉を鍛えるために、瞑想は大事なツールです。
そして7つの習慣とかで喝破されていたのが、大事で緊急性のないことほどできないし、できないことが自分を苦しめるという人間界の心理。ライフスキルですね。
僕も例外ではなくdicipline無い界の代表くらい毎日継続したりコツコツやるのが苦手です。もう苦手すぎてこれ以上自分を傷つけたく無いので新しいことを始めたく無いくらい苦手。
そんな僕が瞑想を始めることになりました。 という話。前置きが長いですね。

慈悲の瞑想というのをやってみることに

色々な瞑想があって、詳しくないのだけど、師匠に言われて、慈悲の瞑想をやってみることとしました。慈悲の瞑想は簡単に言えば下記の言葉を落ち着いたポーズで言うだけ。簡単。 色々なバージョンがあるが、シンプルなのは下記でしょうか。上の句4✖️下の句5で合計20センテンス。ゆっくり言っても7、8分くらいでしょうか。

上の句

  • 自分が
  • 親しい人が
  • 生きとし生けるものが
  • 自分の嫌いな人が

下の句

  • 幸せになりますようにえ
  • 悩みが苦しみが無くなりますように
  • 願いが叶いますように
  • 悟りの光が訪れますように
  • 幸せになりますように

今のところ自分が思ったこと

まず「悟りの光が訪れますように」というところが一瞬抵抗がある。やっぱり宗教について抵抗あるんだな。悟りって多分宗教っていうより「あり方」なんだけど、社会的な文脈がそう思わせる。少なくとも隣の人が目をつぶってブツブツいって、「悟り」って言葉が聞こえたら席を離れる可能性がある。
面白いなとおもうのは、「生きとし生けるもの」のあとに「自分の嫌いな人」がくること。自分の嫌いな人は生きとし生けるものに簡単には含まれないんだな、という洞察がグッときます。生きとし生けるものの幸せを願うのは簡単でも、嫌いな人の幸せを願うのは大変。それが人間であります。
最後になんでこれが役に立つのかなーというところの今のところの仮説。これ脳みそを騙してるんだと思う。みんな自分の思考や価値観が先にあって、感情や行動があとにあると考えがちだけど、そんなことなくて、じつは混沌としている。僕の理解では、自分がかけているレンズや、発している言葉から脳みその方が学習するということも結構大きい。くわしくはポジティブ心理学とかみていただきたいのですが、例えば僕の大好きなこのTEDなど。
ショーン・エイカー 「幸福と成功の意外な関係」
要するに幸せになる筋肉を鍛えることで脳は騙せるし、幸せになれます。 という話でしょうか。とすると、願いを口にすることはすごい大きなことで自分の嫌いな人を見た瞬間に願いと頭の中で自動的につながるようにニューロン繋げることには意味があるんじゃないでしょうか。 とおもっている。
ま、すこし胡散臭く聞こえるかもしれませんがやってみて実験してみますね。

ちなみに自分にとっての宗教

じつは無神論者の自分としては、多くの人が科学的に確かめられていないことに自分の大事な価値や行動習慣、希望を頼るというのはほとんど苦痛です。
科学だって結局なぜそうなっているかわからないということが大変多いし、自分が最新の科学の知見を全部わかるわけではないから、結局自分個人にとっては超常的なものを信じている状態と何がちがうのか、 とか、 神の不在は証明できない、もしくは今後証明されるかもしれないじゃないかっていう不可知論的な話もなくはないのだが、ともかく「祈る」ということを日常に取り入れるスタンスではないですね。
ちなみに社会学的な知的好奇心としては、宗教が社会や個人にむけて果たす役割についてはかなり興味があるんですけどね。
ということでちょっと自分のcomfort zoneから出てみる話でした。

2017年10月15日日曜日

2週間の東京滞在を振り返る

2週間ほど東京におりました

あまり皆さんにはお知らせできなかったのですが、緊急で2週間ほど東京に帰っておりまして、仕事をしておりました。団体独立のための山場があり、帰ってなければいったいどうなってしまっていたんだろうか、というくらい実りのおおい2週間でした。
なんか今後の自分の仕事の内容や、経営者としてのあり方についても色々と考えさせられる2週間だったのでその痛みとともに振り返りをしておこうかな、と思います。

あらためて自分の課題

自分自身の価値というのはoverestimateしたりunderestimateしたりしがちなものです。他人の評価と自分の評価、そして果たすべき価値がさまざまな分野でピタッと一致することはほぼありえないといっても過言ではないでしょう。僕の場合、
  • 楽観的で守りが弱いところと
  • 危機においてテンションと問題解決能力があがるところ
  • タスク振り、段取り、マネジメント、財務、営業力について自信がそんなにないところ
  • diciplineが弱いのと、仕事の仕方にムラがあること
  • その場の空気や人の心の平和を重視するあまり、必要なconfrontationができないことがある。耳の痛いことを言えないとか、プレッシャーをかけられないとか。
という自己認識や癖が自分の時間の使い方を歪ませてしまうところがあります。具体的には
  • 目の前に置かれた危ない状況にぐーっと入っていって問題解決するのに頼ってしまう一方で、3ヶ月 - 6ヶ月後に訪れようとしている本当の危機については気づかないか守りが薄いこと
  • 自分しかできない というタスクに集中する癖が弱く、やらなくてよいことも割とやってしまう
  • すごい集中して仕事をする一方で、体調やメンタルをやられて数日 - 1週間くらいいなくなったりパフォーマンスが落ちたりすることがある
といった悪い癖があります。うちのスタッフに聞いたら激しく首を縦にふってくれる話ではあると思います。まぁこの点においても15年前、10年前、5年前と比べるとそこそこ成長しているなとは思うんですが。

今回の東京滞在中に受け取ったメッセージ

沢山の人に仕事で相談したりアドバイスをもらう中で沢山のメッセージを繰り返しいただきました。とくに
  • 自分の価値をunderestimateしない。謙虚になりすぎない。逆にもっとシビアに自分しかやれないことをやる時間を作り出す。
  • 「どうやって手伝ったら良いですか?」「どう貢献したら良いですか?」というさまざまな人の叫び
  • 自分の自信のないところにとらわれない。自分のダメなところもまとめて肯定する力を持つ。きちんと手放し、諦め、見つめて、共に歩いていく
  • やりたいことを本当に自由に確信をもってやる。自分のwillをもっていることにはデッドラインを設けることで、もっと自由にconfrontationを自然とできるエネルギーを持つ
  • 頭でぐるぐる考えない。まずやってみる。AとBとで迷っている時間に気づいたら、すぐに迷うのをやめてどっちかやってみる。勇気を持って行動をする感覚を思い出す
というあたりについては沢山の人に手を替え品を替え伝えていただき、心に残っております。

これから何を大事にしていくか

いくつかのことにチャレンジしていきます。35歳の抱負の記事で考えたあり方や希望を実行するために必要な幾つかの行動や在り方の小さなチャレンジという感じでしょうか。
  • どんな状態でもそこにできる限り前を向いて、いつづけること
  • 自分の時間の使い方について周りのみんなにちょくちょく相談すること
  • もっともやりたいことは明確に計画に落として人に伝えていくこと
  • 淡々と行動し、淡々と休む
あらためて気づいたことを色々な形で僕に伝えてくださった皆さま、ありがとうございました。これからますますシェムリアップ、タイ、プノンペン、日本とそれ以外の国も含めて行ったり来たりが増えるかと思いますので、いろいろな方々にお会いできるのを楽しみにしております。

2017年10月14日土曜日

志の作り方

愛すべき元インターン生がFacebookで「どうやって志を持てばいいのかわからない」とステキなつぶやきをしていたのでそこに返答した話を転載。

1. どういうタイプの人間かを見定める

志を持っていることの何に憧れているかはあまりわからないけれど、志ってVision系の話か、Value系の話にわかれるようにおもう。目標達成型の人間か、あり方に執着する人間かということでもあるんだけど。
そのどちらのタイプなの、Natureとして。っていう問いはまずあるとおもう。具体的にいうと、「児童買春をなくす」っていうのはVision的な志だけど、「家族を本当に大切にする」とか「二つ選択肢があったら常に難しい方を選ぶ」とかそういうのはValue的。

2.自分の課題と向き合っているか

大事な志はその人がどれくらい大きなことをいっているかどうか、ということではなく、その人の本質とどれくらいつながっているかということだとおもう。それを探るためには、自分の内面と向き合わなくてはいけない。自分の恐れや痛みがどこから来るのか、何に怒りや喜びを感じるのか、そしてそれはなぜなのか。おすすめとしては、一緒に手を繋いで自分の内面に降りていけるひとをみつけること。人によっては同僚だったり、家族だったり、師匠やコーチだったりする。
それが決まると、自分のwillやvalueが、must / can / shouldとは違うところからきちんと抽出することが出来る。
これが自分の声を聞くということだし、とても勇気のいる作業だし、年単位で時間がかかったり、readyになるまで何十年もかかったりする。でもあきらめないこと。

3.短いキャリアを漂いながら、準備が出来たら2番のプロセスをふんで志を明確にする ※

これからの3年間の自分のキャリアやあり方、テーマを節目節目ごとにQuickな形でdecisionしていくのがおススメ。その時の僕の軸は「わくわくしているか」「自分は成長できるか」「自分が貢献できるか」。僕の場合かものはしはそれを15年分(つまり5回分くらいの)意思決定をしつづけた旅だった。そしてTransitionが訪れてSlowなdecision makingをすることができた。(つまり2番のプロセスを踏むことができた)
なので僕の事例だけでいえば、志がないとか全く心配しないで、熱中できることを高い品質でやり続けることが大事。そのうち、2番のプロセスを踏めば自分とつながることはできるとおもうよ。
※ 日本語じゃない・・・ すみません

2017年10月13日金曜日

35歳の抱負 あるいはたわ言

35歳になりました

さる10月10日、35歳の誕生日を迎えることができました。栄光の瞬間はなぜか一人でオフィスで仕事をしながら過ごすというファンキーなスタートになりました。そこに祝日の夜の11時にも関わらず、会員申し込みのための資料の請求のお電話がかかってきたのですが、まさに誕生日プレゼント的に対応させていただきました。ありがとうございます。

抱負と私

抱負とか守れないタイプです。だいたい覚えてない。覚えていたとしてもふりかえらない。振り返っても管理しないから守れない。だから期待しないので本気で目標をたてない。
もしくはきちんと目標を立てて宣言して守る系の人(慎さんとか、駒崎くんとか)に憧れてしっかり立ててみるものの逆に負担が重すぎて守れない。
自分が夢に向かって確実に歩いているとはおもうのだけど、目標管理は向いていないな、としみじみ思っているところです。なので抱負はとくになし。

今大事にしたい価値・あり方

かわりにこんなスタイルで過ごしていきたいな、とおもうところや、こうなったらやだな、ならないようにしたいな、ということはあります。いくつか書いてみると
  • 今みたいに、毎日本当にワクワクしながら仕事を続けたい。多分要因としては、自分とつながった事業を行なっている感覚があること、難しい状況に置かれ自分自身の成長が必要とされること、新しいことを学べることあたりが必要条件かなと思っています。
  • 家族とたくさん前向きな話ができる関係を大事にしたい。僕の事業や役割の問題で、家族と一緒にいる物理的な時間はどうしても制限されてしまいます。ただ、それでも出来る限りフラットな状態でお互いの意見をうけとめること、前向きに話し合うことができた時は深い充実感に包まれるという経験を何度かしています。なので愚痴だったり、不安だったりも受け取りつつ、それをこえて前向きな話し合いができるくらいの集中した時間の取り方やありかたを模索したいですね。バンコクのコワーキングスペースでも仕事ができるようになれば物理的な距離の問題もやや解決できるのでその辺りもチャレンジです
  • 沢山の仲間の変化に立会いたい。村の女性、カンボジア人のスタッフから日本人の経営スタッフまで本当に多くの人と一緒に働く機会があって凄く楽しいです。一人一人がちょっとずつ成長しているのを目の当たりにしていて、深い充実感もおぼえます。それがもっと確実にステップをふんでいけるような関わり方をしていきたいなとおもいます
  • 多くの人にあって、からんで、事業を進めていきたい。やっぱり本部の人だったり、コンサルタントのひとだったり、師匠だったりさまざまな人がさまざまなことを言ってくれるのは本当にありがたい。その瞬間はムカついたりすることもありますが、応援してくれてありがとう という気持ちでいっぱいです
  • don’t:overweight、 不用意な怪我、お隠れになりすぎない

目指す世界は大きい

僕が目指す世界は、一人一人の人が人生に前向きにワクワクして過ごせるよのなかです。そのためにライフスキル教育がインフラとして提供されることと、優しい資本主義が蔓延し、作り手←→買い手、企業/職場←→働き手との関係、を愛やレスペクトが生まれる近いものにしていきたいという二つのチャレンジが必要です。
ライフスキルのユニバーサルさ、でも振り返ったように、それは人類の悲願であり、古今東西でっちから経営者まで大事な問いでもあります。それを改善していくためのメソッドや事業モデル、ブランドを開発し、広げていくための挑戦はまだ始まったばかりです。
僕一人の人生をかけただけでは到底足りない。共感してくれるみなさんいっしょにしっかりと歩んでいきたいと思います。 大きな世界を目指すために、みんなでしっかりと一歩を踏む。それが僕に出来ることかな、とおもいます。

2017年10月12日木曜日

変わり続ける社会と変わり続ける役割の話

NGOをやっているととくに強く意識するのは競争より役割分担

一つの社会問題にタックルしようとしても、原因は多様に絡み合っていて、地域もたくさん広がっていたりすることもあって、到底一団体で解決できないということがほとんどだろう。
同じ志で別の地域で頑張るNGO同士もいる。同じ地域で対症療法を行なって今の痛みを食い止める人と、根本治療に取り組んで今後の問題の予防に努める人もいる。もちろんどちらが偉いとかそういう話ではなく、役割分担の話だ。
同じように、NGOと企業と政府も役割を分担することが多い。とくにNGOは非営利のお金を受け取る中で「市場も政府も失敗するエリア」に対して「問題を発見して伝えたり」「解決策を実験して見つけ、展開したり」という役割を担っていくべきだと僕は個人的に思っている。
ここで気をつけなくてはいけないのは、活動を続けていく中で、社会は変わりそれぞれのプレーヤーが取れる役割も変わってくるということだ。

5000人雇えなかった僕たち

僕らが2002年に活動を始めた時、僕たちNGOが1人でも多くのカンボジア人を雇用することは本当に社会的に価値があったようにおもう。2008年に始めたコミュニティファクトリーでもその思いを持って一人でも多くの女性を雇用できるように頑張ってきた。
個人的にその潮目が変わったようにおもうのは2011年あたりを超えてからである。民間企業のカンボジアへの進出・投資が本格化したのだ。とくに印象的だったのは、日系企業の現地支社長の方にこう言われた時のことだ。
「青木くん、うちの工場は年末までに5000人雇おうと思っている。月に100人でも元気で目が良い女性がいたら誰でも良いから紹介してほしい」
そしてその工場の給与はうちのファクトリーより良かった。
このとき僕は「あ、勝てないな」と素直に思った。僕らが血の滲むような思いで1人ずつ採用していってもとてもじゃないがこの規模は出せない。日本での商品販売では大先輩のマザーハウスですらおそらく数十億の売上をあげていても雇えている職人は200人程度ではないだろうか。これは良いとか悪いとかの話ではない。自分たちのとりたい役割とその期待とのギャップの問題である。
(僕が知っているマザーハウスのTOCは「途上国から世界に通用するブランドを作ること」が今後の先進国と途上国の関係や認識を変えたり、途上国のほかの人たちに希望を提供できるということである。そしてそれは本当に機能しているとおもう。マザーハウスが切り開いてきた道を前に見つめてどれほどの勇気をもらっていることか)
ある社会のフェーズからは、単純に雇用の人数で企業に勝つことは非常に難しい。貧困率をかけあわせたところでSocial Impactで勝つことも難しい。カンボジアの人にとっては本当に良いことだとおもう。どんどん良い職場と雇用が増えていくことほど国を発展させることは無いと思う。
さて、すでにこの時点で「企業に雇用で勝つ」とか勝ち負けの話になっている、そのマインドがだめなのだ。NGOの問いは、「じゃあ残っている社会問題は何で、どう役割を分担していくのか」というものであるべきだとおもう。

僕らが至った結論は、最貧困層の方々向けの学校へと進化すること

単なるスモールビジネスをしたかったわけではなく、社会問題の解決を目指そうとおもっていた僕らがとった動きは、よりターゲットを絞っていくことと、学校モデルに変化することであった。詳しくはここでは説明しないが、雇った人に「いつまでもうちの工房で働いてほしい」といっていた事業を、下記のように2年で卒業してもらうモデルへと大きく変化させたのだ。

これはものづくりの常識からいったらありえないし、職場のスタッフももちろん混乱しこの2年間大変なTransitionだったとおもう。よくみんな乗り越えてくれた。
でも仕方がなかった。単なる雇用の数をカンボジアに提供するのに適しているのはもはや僕たちではなかったのだから。僕らがどの問題に着目してこういうモデルに切り替えたのかという話は割愛するが、今でも正しい決断だったと思っている。より多くの企業が雇用を提供していく中でも、その雇用をしっかりとつかむことができないひとたちが確実にいて、そういう方々の問題を解決できる教育サービスを中心に持ったものづくり事業へと変化できたからだ。

その変化の中で得たもの

痛みをともなった変革だったが、その中で得たものは大きい。
  • 前以上に自信をもって事業を展開できるということ。同じ売り上げでも、より多くの人にたいしてサービスを提供できる
  • 卒業を前提にしたときに、「外で活躍できるだけの人材になってもらいたい」と、求められる教育の質があがり、スタッフの目線も実力もあがったこと
  • 卒業を前提にした時に(同時にブランドが立ち上がったことも大きいが)、品質を個人技ではなくプロセスで担保できるように仕組みが進化し続けていること
  • そこで得た教育のメソッドを企業や政府に外販できるようになってきたこと。カンボジア全土に質の高いライフスキル教育を届けることができる日が近づいた
とくに最後の点、これは事業全体のSocial Impactを本当に大きくできる可能性を含んでいる。
自分たちの価値を問い直し、役割を見つめ直し、事業を作り直すこと、それがNGOとして社会問題に真摯であるということだとおもう。はっきりいってまだまだ甘いところが大きいが、今後も恐れずに変わり続けたい。

2017年10月11日水曜日

「せっかく入った東大を中退するとか意味がわかりません」への答えとは

ご縁があって、奈良県の超進学校の高校一年生に向けて講演会をさせていただく機会があった。毎年カンボジアのコミュニティファクトリーにもいらしていただいている非常に意識の高い(そして偏差値も高い)学校での一コマである。
講演の中で僕は自分の人生を紹介するためにも、東京大学を中退したことを伝えた。そして東大は彼らにとって非常に現実的に検討する選択肢でもあった。
そして質疑応答の時間の中でタイトルの質問を高校一年生からいただいた。そのときうまく答えられなかった気がするので改めてもう一度考えてみた。

まず「意思を持って積極的に中退した」という誤解を解きたい

僕が中退したのは進学振り分けという3年生になるにあたって学部を選択するために必要な最低限の単位が3年連続不足していたためである。2年生までを4年以上できないというルールのため、3回目に落ちた時には退学を選ばざるを得なかった。
別に単位がもらえて卒業できるなら卒業したかった(ような気がする)。
そういう意味で「かものはしプロジェクトという事業により集中するために積極的に意思を持って中退した」と言われるとちょっと微妙な心持ちになる。
もちろん、なぜ単位が足りなかったかというと、大学にまじめに通っていなかったからだ。そして、なぜ通っていなかったかというと、自分が担当していたIT事業が忙しかっただけでなく、楽しくて夢中になっていたからだ。
ということを総合的に振り返ると下記のような塩梅
  • 本当に卒業しようと思えば事業をやりながら単位をなんとなく取る方法はあったかもしれない
  • 自分自身がめんどくさかったのでやらないところは間違いなくあった
ということで、「大学を卒業したいと強くおもっていなかったから」に尽きる。親には随分と心配をさせ、失望もさせてしまったが、正直なところこんな感じである。

じゃあなぜ「卒業したい」と強く思わなかったのか

とすると、次の疑問は卒業したいと思わなかった理由である。これは今考えてもいくつかの理由があるように思う
  • そもそも「卒業して何をしたい」というビジョンがなかった。だから卒業しなければできないこと、について考えたことがなかった
  • そもそも将来についてビジョンをもってキャリアを積み重ねていくということができるタイプではなく、今楽しいと思うことを続けていくタイプである
  • そもそも東京大学に入ろうとおもったきっかけも「通っていた塾で、当然の選択肢として考えるような環境であったこと」「親族に東大が多く、受けることそのものには疑問を持ちづらかったこと」というあたりにある
  • その中で積極的に受験した理由として(他の大学を一つも受けなかったわけだし)「なんか面白い人がいるに違いない」「途中で文系も含めて学部をえらべるということは今決めなくてよい。今後興味が生まれたものに忠実に決めればよい(ある意味で先送り)」というあたりがあった
そして、かものはしプロジェクトを起業してすでに3年程度たったとき、心から「面白いことをやっているし、面白い人たちとやっている」「今プロジェクトが潰れても個人としては食べていけるだろう(という自信と楽観)」とおもっていたことが大きかったように思う。

親族の話

そういう意思決定(というより半ばなし崩し的ではあったものの)を経ても大事にしてくれた家族には本当に感謝している。とくに親族に東大出身者が多く(まぁこういう話を共有するのも勇気がいりますが)、そういう家庭環境の中で、「入ったはいいが、卒業せず中退をする」ということを(もちろん強く反対していたし、嫌だったろうとは思うが)最終的に認めてくれたのは自分にとっても大きなサポートであった。
時代の違いもあったし、なによりもその理由がかものはしプロジェクトという応援してもらっていた取り組みであったことも大きかっただろう。いずれにせよ本当に感謝である。

今になって思う話

そんな中、今になって思うことは、辞めてよかったな、ということである。それは下記のような理由に基づく
  • 実際特定の職種なんかを除けば、仕事をしていく上で卒業したかどうかはあまり問われない(と感じるような業界にいるのかもしれない)
  • 話のネタになる。スティーブ・ジョブズ、ビルゲイツ、ザッカーバーグといった偉大なる方々のお陰でなんかカッコ良い感じすらする
  • 退路をたてたし、自分の決め方に自信がもてた。それは「みんながよいとかやるべきだと思うことじゃなくて、自分自身が夢中になれることをやる。」ということ
  • いま考えても一番のリスクは大学を辞める云々ではなく、振り返ってみて「本気じゃなかったな」と思ってしまうような態度で仕事や研究だったり、家族と向き合うことだったりを進めてしまうことだと思う。それは自分の尊厳を少しずつ自分でうばっていく行為だからだ。僕はこれを「挑戦しないリスク」と呼んでいる
  • OBのフリをして同窓会やイベントには出られたりする。懐の深い人たちに支えられております
綺麗事かもしれないが、改めてこれまでの経緯をご縁として感謝している。うまくまとまってはいないが、これが僕が東京大学を中退した という事実を自分の中で消化した結果である。誰かの参考になれば本当に嬉しい。

免責事項

当然のことながら、これは積極的に中退を進めるような話ではない。全く他のことに影響が出ないという条件下では当然卒業した方がよい。試される時はどうかat your own riskでお願いします。そして、それを自分で自分に問うプロセス、きめるプロセス、それを自分の人生と呼ぶのだと思う。大げさにいうと。

2017年10月10日火曜日

ライフスキルのユニバーサルさについて

私たちの事業は「ものづくりを通じたひとづくり」だ。そしてその人づくりとは一人一人が前向きにワクワクしながらいきていくために必要な「ライフスキル」を身に付けるということを目的としている。
現在僕たちが定義するライフスキルは下記の要素になっている。

他の呼び方としてはソフトスキル、非認知スキル、ベーシックコンピテンシーなどと言われて、とくに職業倫理を中心としたあたりはemployabilityなどと呼ばれることもある。
さて、この図をみて、どんな人でも自信満々に「僕はどのスキルも全く問題なく身につけているよ」と言える人はいないのではないだろうか。僕たちはあくまでもカンボジアの農村にいる、小学校や中学校を中退せざるを得なかった家庭出身の若い女性たちに適用してはいる。しかし同時に働くスタッフや経営者である僕自身に対してもこの能力を育てていけるように事業を作っている。
つまり、このライフスキルはどんな人でも課題を持っているユニバーサルなものであるということだ。そしてそれがどのくらいユニバーサルかというと、次の3次元的にユニバーサルなのではないだろうか。
  • いつの時代も(時間軸):古今東西人類が課題としてもっている。 ex. マルクスアウレリウスの自省録をよんでもここに関わる話は多いし、多分人類が火星に行ってもこの話は続く
  • どの地域でも(地域軸):日本人もカンボジア人もその他の国の人たちもみんな必要としている。もちろん地域が持つ文化や、社会的な構造によってどこが強く求められるかは違いはあるだろうが、概ねこの組み合わせである
  • どんな立場でも(業種・職種軸):農業、工業、サービス業それぞれで組み合わせは異なるものの必要なスキルである。ワーカーレベルでも経営者レベルでも営業職でも事務職でも必要なスキルである
もちろんそれだけ広く曖昧に定義していると言えなくもない。しかし、一方でその必要性の割には、学校、家庭が「なんとなく」育成を担っていたため、再現性のある効果的な教育方法が確立されていないあるいは広く行き渡っていないと僕は考えている。
だから家庭環境が劣悪な場合だったり、標準的なサービスが受けづらいマイノリティの方だったり、人権を侵害されるような問題の被害者だったりする人たちはライフスキル教育を受けることなく、結果として社会との関わりを作るのが難しくなり、その劣悪な状況を脱することができなくなるのだ。

だからこそライフスキル教育は社会のインフラとしてどんな人にも等しく高品質に提供されるべきだと僕は考えている。それは万民の権利であり、社会制度を作る人にとっての義務なのだ。沢山の人に使ってもらえるようなライフスキル教育のパッケージ(メソッド、TOTの仕組み、トレーナーやトレーニーをサポートする仕組み、ITをつかってライフスキル活用をサポートする仕組み)を開発し発信していきたい。

僕たちが考えるライフスキルのもっと細かい定義や指標についてはまた別の機会に。

2017年10月9日月曜日

スタッフが簡単にやめるとムカつく話、あるいは投影とは

カンボジアやタイの日本人経営者やマネジャーから「現地のスタッフが簡単にちょっと給与の高いところに転職してしまってムカつく」という話を聴くことがある。

まぁまず実際給与の理由ではなくて職場の人間関係とかが原因にあることを良かれとおもって伝えてくれないというのが大きな原因だったりする。退職面談を本当に安全な形で実施することが大事で、こちらも傷つくんだけどそこで手痛いフィードバックをもらうことが大切だ。

ただ、それ以上に最近思うこととしては、なぜそんなに「ムカつく」のかということだ。たしかに色々と夢を語り合った仲間がやめる、とか、実際に仕事の引き継ぎとか考えてなくて実害があるということもあるだろう。ただそれだけでは説明がつきづらいくらいムカついている人に会うこともある。

ここで一つの仮説。それは「その人自身が、本当に我慢して会社に居続けているのでは?その痛みと向き合ってないのでは」というパターン。自分の中にある葛藤や痛み、被害者意識を消化できていない時、人がその行動を無邪気にとっているほど怒りが湧くことはありません。心理学的にも「投影」と言われる現象の一部だと思います。

あたかも「簡単に」やめてしまっているように見える現地の人を見かけて心がざわついたら自分自身に問いかけてみてください。

  • 本当は自分がやめたいとおもっていて、やめれないというその痛みをその人にぶつけているだけじゃないか
  • 簡単にやめているようにみえるのは思い込みで、もっと色々な思いをもっているのではないか。それに目を向けられないのは経営者としての、マネジャーとしての痛みに向き合えないからではないか

それだけで必ずよくなるかどうかなんてわかりませんが、自分自身の課題を相手に無意識に押し付けても、問題が再生産され続けるだけなのでそれほど非生産的なことはありませんから。

2017年10月8日日曜日

久しぶりにブログを再始動

久しぶりにブログを再始動することに。

全国に数少ないファンがいることがわかったのでその人たちのために書いていきます。概ねFacebookにいろいろ情報発信できるせいで、情報発信欲が失われてブログを放置しているわけですが、Facebookは残りづらく色々とじわじわツッコミも欲しいので。ブログ(ともう呼びすらしないでしょうか)のサービスも群雄割拠なのでそもそもサービス自体も変えるかもしれませんが。

まぁこういうのは気合入れてたくさん書くとかいうと、次の書き込みが2年後になったりするのでまったりとよいペースで下記の狙いを達成していきたいと思います。

  • 哲学←→研究←→経営←→現場をいったりきたりすること
  • インプット←→アウトプットをいったりきたりすること

書いてみたいなとおもっているのは下記のあたり

  • なぜものづくりなのか、手作りの意味とは
  • なぜひとづくりなのか、教育とは。ライフスキルのユニバーサルさについて
  • 組織の運営で学んだこと。自分らしくあること、構造を作ること、スペースを作ること、伝えること、トンネルをみんなで潜ること、流れを作ることなど
  • 仕事術系
  • ちょっとした気づき

ほかに聞いてみたいことがある人が万が一いましたら是非Facebookなどでコメントいただければ。

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